落ちこぼれ会計人の Music Diary
今日の KiKi の BGM はこんな感じ・・・・
初めてのお客様へ

この Blog について

ランキング他

この Blog は以下の3種類のランキングに参加しています。  もしよろしければポチっと押してやってくださいませ♪  ランキングで一喜一憂することはありませんが、声援をいただけると励みになるのは否定できません。 

にほんブログ村 クラシックブログへ

音楽ブログランキング

banner_blogrank.gif


KiKi が参加しているブログ村のトラックバックテーマです。  関連する記事を書いたらここに TB を送っています。  皆さんも参加してみませんか

にほんブログ村 トラックバックテーマ 何てったって室内楽へ
何てったって室内楽

にほんブログ村 トラックバックテーマ 勝手に**の日へ
勝手に**の日

にほんブログ村 トラコミュ リヒャルト・ワーグナーへ
リヒャルト・ワーグナー

最近の記事

今週ご紹介した CD

今週ご紹介したソフト



















月別アーカイブ

10  01  12  07  06  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  01 

カテゴリー

Amazon

Amazon 室内楽のオススメ CD




ニーベルングの指環



リンク

タグリスト

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

TOP
バッハ マタイ受難曲 第1部
本日のエントリーはクラシックブログ共同企画「勝手に**の日 - 聖金曜日には、“受難曲”を」に参加しています。  尚、バッハの受難曲は「マタイ」にしろ「ヨハネ」にしろ壮大かつ深遠な音楽なので、どちらを選ぶのかから始まってじっくり腰を落ち着けて鑑賞するために、実際には聖金曜日1日ではとてもじゃないけれどアップアップしてしまうので、そのだいぶ前から一所懸命(?)に聴いていました。  そういう意味では「今日の1枚」というよりは「今週の1枚」っていう感じかも・・・・(笑)  そして今日の記事「マタイ第1部」はどちらかというと聖木曜日にこそふさわしいテーマを扱っている部分のような気がするので、企画の意図と比べると1日早いのですが今日、聖木曜日にアップしておきたいと思います。  (主催者の皆様、もしも問題があるようでしたらご連絡ください。)

さて、今日取り上げるのはバッハの「マタイ」なんだけど、その前に KiKi とバッハの関わりについてちょっとだけお話しておきますね♪  KiKi の長年のバッハ観、それは「扱いにくいイヤ~なオッサン」っていうものでした。  多くのピアノレスナーの皆さんには賛同してもらえると思うんだけど、ピアノ弾きにとって結構早い時期に出会うバッハの「インヴェンションとシンフォニア」っていう曲集がそれまでやってきた「バイエル」、「ブルグミュラー」、「ソナチネ」なんかと比べるとやたらと弾きにくいんですよね~ ^^; 。  それでも何とか頑張ってその曲集を終わらせてやれやれと思ったのも束の間、今度はもっと難解な「平均律クラヴィーア曲集」っていうのが待ち構えていて、しかもこれが1巻、2巻に分かれているんですよね。  もうそれを見ただけで「うへ~ 蓮」となっちゃうんですよ。  で、音大なんていうところを目指そうと思ったらこの「平均律」から実技試験の課題曲が2~3曲課されちゃうもんだから、ただでさえ「扱いにくいオッサン」だったのが「憎きオッサン」にさえなっちゃいかねなかったりするわけです。  

聴く分にはバッハのようなポリフォニーの音楽って奥行きがあってゴシック建築のような構築美があって素敵なんだけど、聴くと弾くでは大違い(笑)。  右手と左手が独立した旋律をとりながらそれを複雑に絡み合わせて、しかもちゃんとバランスよく歌うっていうのはすご~く難しいことで、これがロマン派の曲だったらペダリングやらルバートのかけ方、ちょっと崩して弾くとか対処のしようも色々あるんだけど、バッハの場合は基本的にはイン・テンポでペダルにはほとんど頼らない弾き方を要求されちゃうので、指(の股)がつりそうになっちゃったこと数知れずなんですよね~。  で、KiKi の場合はそのトラウマがあったので、結構長い間バッハの音楽はどちらかっていうと敬遠していました。  そんな KiKi がバッハの音楽に心底感動するきっかけを作ってくれたもの。  それがこの「マタイ」や「ヨハネ」そして「ロ短調ミサ」、「クリスマス・オラトリオ」でした。  普通大学に進学して、平均律から解放された KiKi はようやくバッハと素直に向き合ってみる気になって、それでもどうしても鍵盤楽器曲だけは聴く気になれなかったので、それならば・・・・と宗教音楽に手を出してみたっていうわけです。

大学生の KiKi が図書館で借りて聴いたバッハはリヒターのものでした。  これにガッチリとハートを掴まれちゃった KiKi は長じて CD を購入する際にもどうしてもリヒター盤が欲しかったんですよね。  でもリヒター盤は高くてなかなか手が出ませんでした。  社会人になってだいぶたってようやく趣味にまわすお金ができてきてそれでも「えいやっ」とばかりに購入したのがアルヒーフの「バッハ4大宗教曲 Box Set」でした。  今日はその中からマタイ受難曲 BWV 244 を選びました。

バッハ マタイ受難曲 BWV 244
ARCHIV POCA-9027/9 演奏:リヒター指揮 & ミュンヘン・バッハ管弦楽団 & ミュンヘン・バッハ合唱団 & ミュンヘン少年合唱団 & ヘフリガー(T)、エンゲン(Bs)、ファーベルク(S)、フィッシャー=ディスカウ(Bs) 他 録音:1958年6~8月

CD8_2.jpg




この曲は基本的には聖書の「マタイによる福音書」の第26章1節から第27章66節までの物語に沿って歌われていくので、曲を聴く前にまず聖書の朗読をしてみました。  映画「パッション」で扱われていたのとほぼ同じストーリーであること、これまでの人生の中で絵画を観たり本を読んだり過去にこの曲を聴いたりして記憶にあるストーリーをもう1度再確認です。  そしていざ CD を。

十字架を背負ったイエスがゴルゴダの丘に向かって歩む、その歩みを表すかのような重苦しい通奏低音が印象的な序曲から始まり「見よ、誰を?」の合唱に続いてコラール「おお神の子羊、罪なくして十字架の上にほふられし御身よ。」が流れます。  バッハ先生って今でいうところの素晴らしい映画監督もしくは CM ソングメーカーですよね~。  全曲2時間強のこの大作のしょっぱなで、いきなりキリスト受難の物語のクライマックスの場面を持ってきます。  この音楽を聴いてドキドキしない人がいたら会ってみたい・・・(笑)。  KiKi なんて生まれて初めてこの導入部を聴いた時、全身に鳥肌がたつほどの感動を覚えました。  今風(ちょっと古いかも?)のお笑い芸人に言わせれば「掴みはOK」っていう感じだと思います。

そして合唱が終わると、語り手エヴァンゲリスト(福音史家)が聖書の記述を朗詠し始めます。(第26章1節)  「イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると弟子たちに言われた。」  このエヴァンゲリストを演じているのがテノールのヘフリガーなんだけど、彼の歌唱が全編通して感動的なまでに素晴らしい!!  とても透明感のある声で感情をぐっと抑えて淡々と歌うその歌声はいかにも語り部っていう感じで、すご~く説得力に富んでいます。  エヴァンゲリスト登場直前までの痛切な重苦しさに比べて、美しく軽やかな詠唱・・・・。  そんな歌声を聴いた後だけにそれに続く「あなたがたも知っているとおり、二日後には過越祭である。~」というイエスの受難の予言の神々しさがいや増します。  しかもイエスのレチタティーヴォのみが弦の伴奏を伴っているので、その言葉はこれでもかっていうぐらい美しく感動的です。

こんな風に頭から全部書き連ねていくといつまでたってもこの Review が終わらないので、ちょっとはしょって、イエスを裏切るユダの決心を受けて歌われるソプラノのアリアへ。  「血を流せ、わが心よ!」はシンコペーションで始まる前奏から最後までどこか不安定で、同時に切迫感に溢れた音楽です。  最初の「血を流せ!」の部分はまるで身体の奥底から搾り出すかのように歌われ、イエスの受難を嘆く・・・・という部分もあるのかもしれないけれど、何となく「裏切り者」としてしかこの聖書の物語の中に存在できなかったユダの哀しさをも表しているように聴こえました。  KiKi はこの「キリスト受難」の物語を読んだり観たり聞いたりするたびに思うのですが、ユダの人生ってこの「裏切り行為」のためだけにあったような人生のように思えるんですよね。  で、それがもしも預言の成就のためにユダに与えられた役割なのだとしたら、こんな哀しい話はないように思います。  しかも彼は復活することもできずに後は自殺して姿を消すしかないんだから・・・・。

このアリアはこの第一部の中で KiKi がもっとも愛しているアリアです。  何でユダが蛇になぞらえられちゃうのか(旧約のアダムとイブの物語の影響?)、その蛇が育ての親を噛み殺す云々とはいかにもグロテスク!!  そんなグロテスクな歌詞にこんなにも美しいメロディを与えたバッハってやっぱり超一流の演出家だったに違いない(笑)。  このアリアの音型ってその直前のアルトのアリア(香油を注ぐ女の物語の省察「悔いの悲しみは罪の心を千々にさいなむ~」ともちょっと似ています。  でもアルトのアリアの方は、イエスの受難を予感させつつも預言の実現を穏やかに見守る目のように時に長調に転調しながらどことなく安心感を持たせる音楽であるのに対し、このソプラノのアリアは哀しみ・嘆きだけを切々と訴えます。

不安感に満ちた切迫した音楽を振り払うかのように表れる「過越の祭り」を祝う明るい音楽、そしてそれに続くのが絵画で有名な「最後の晩餐」のシーンです。  イエスの「あなたがたのうちの1人が私を裏切ろうとしている」はもっとドラマチックな歌になるのかと思いきや、さにあらず。  いや、もちろんそれなりにドラマチックなんだけど、やっぱりここではそれを聞いて驚き戸惑う弟子たちが主役なんですよね~。  「主よ、まさか私のことでは・・・」と口々に問いかけるコーラスが山場。  この演奏のこの緊張感!!  何て素晴らしいんだろう。

で、その後イエスが KiKi にしてみるとちょっと残酷と見えなくもないセリフを吐くんですよね。  「人の子を裏切るその者は不幸だ。  生まれなかった方が、その者のためによかった。」  ああ、やっぱり・・・・。  ユダの人生ってホントに・・・・。  KiKi にはユダが生まれながらにして貧乏くじをひかされちゃった人のように思えてなりません。  さすがにこの言葉に反応せざるをえなかったユダ。  「ラビ、まさか私のことでは?」  上記の弟子たちの問いかけ同様、すごい緊迫感です。

そして有名な「取って食べなさい。  これは私の身体である。」のシーンの神々しいまでの温かさ。  あんなにショッキングな密告者の告知のシーンの直後なのにこの平穏さは何なんだろう??  まるで、そんなことがあったことを忘れちゃったかのような・・・・。  クリスチャンではない KiKi にはこういうところがよくわからないんですよね~。  で、これに続くソプラノのアリア「よしやわが心は~」がまた美しい。  こんな悲しいはずの場面なのに心の奥底にある滓のようなものがす~っと掬われるような感じがして、あまりの聴き心地のよさに思わずクリスチャンになってしまいそう・・・・(笑)。  ここでは2曲のアリアが続くんだけど、2曲目はとっても明るくて軽快で、牧歌的なアリアです。  例の KiKi の大好きなソプラノのアリアとここでもほぼ同じ音型をとっているんだけど、短調と長調でこうも違うのか、楽器が異なるとこうも違うのかと、バッハの音楽の懐の深さに感動します。

そして一行はオリーブ山へ。  ここも聴きどころはいっぱいなんだけど、まだ先は長いので思いっきりはしょって(笑)、ゲッセネマの祈りについて触れたいと思います。  ここに溢れるイエスの絶望感の何という深さ!!  預言は実現されなければならないけれど人間「イエス」としてはやはりそれをすんなりとは受け入れられない。  「できることなら、この杯を私から過ぎ去らせて欲しい。」と祈らずにはいられない。  そんな切実なイエスに対し、イエスの弟子たちの何とお気楽なことか・・・・。  イエスが何度も受難を預言して、裏切り者の存在の告知までして、自分が祈っている間起きていなさいって言っているのに、こともあろうに居眠りしちゃうんだから・・・・・。  (まあ、KiKi も居眠りしちゃう可能性はあるので人のことを責めることはできないけれど・・・。 ^^;)  

でもだからこそイエスはこの受難は受け入れざるをえない宿命だと悟ったのかもしれません。  ここで挿入されるテノールと合唱のレチタティーヴォとアリアは第一部の中で KiKi が2番目に好きな部分です。  この合唱部分はこの物語の登場人物というよりは、この受難曲を聴いている私たちの内心の声を代弁していると思うんだけど、この後に続く悲劇を悼むのと同時に、私たちにイエスと同様の覚悟・・・・というか心の準備を促しているように思います。  それにしてもここからイエスの捕縛までの流れは、イエスの人間としての苦悩と宿命の受容・諦観までの心の動きがよく表れたシーンだと思います。  と、同時に私たち人間の内心が試されているシーンのようにも感じました。    

さて、再び大幅にはしょって第一部最後のイエスの捕縛のシーンへ。  ここまでかなり淡々と語り続けてきたエヴァンゲリストがこの一連のシーンでは感情を爆発させます。  そして、裏切り者のユダの接吻を合図に彼と同行した祭司長や長老たちに捕縛されてしまったイエス。  ここでユダに対してイエスが言うセリフが本当に哀しいと思うんですよね。  「友よ、なにゆえ来たりしや?」  穏やかな声音だけに尚更哀しい・・・・。  イエスはユダが何をしにきたのかは先刻承知なわけで、それでもここでこう言わずにいられなかったのは「ああ、ユダよ。  本当に来てしまったのだね。  預言は成就される。  でも、お前はもう後戻りはできない・・・・。」というような想いがあったんだろうなと・・・・。  そう思ってこの詠唱を聴くと再びあの KiKi の大好きなソプラノのアリアが思い出されます。  あそこで歌われていたように、イエスは本当に愛情をもってユダを育ててきたんだなと、そしてユダは育ての親を噛み殺す蛇となってしまったんだな・・・・と。  

さて、そして歌われる二重唱のアリア+合唱の部分。  第一部はどちらかというと淡々と史実(?)が歌われるシーンが多いと思うんだけど、ここで第一部冒頭と同じような感情の高ぶりが訪れます。  「放せ、やめよ、縛るな!」はこの物語を外から眺めている私たちの言葉です。  でも二重唱のアリアはそんな私たちの言葉には耳も貸さずこの事態を嘆き続けるのみ・・・・。  そして「稲妻よ、雷よ~」の合唱ではがんがん転調しまくり、聴いているこちらの気分はどんどん混乱していきます。  そして突然訪れる一瞬の沈黙。  その沈黙を破るように始まる「業火の淵を開け~」に込められた怒りの何と大きいことか!!  これはある意味では次に続くレチタティーヴォで歌われるイエスの従者が剣で大祭司の下僕に切りつける、その行動原理を表しているのだと思います。  何て劇的な演出でしょう!!

でも結局弟子たちは逃げちゃうんですよね。  何が「みんながあなたに躓いても、私は決して躓きません。」でしょう!  もちろんペテロの個人攻撃をするつもりは毛頭ないんだけど、あんなに自信たっぷりだったくせに、居眠りはするは逃げ出すは・・・・ ^^;  でも、人間とはかくも弱いものだっていうことなんでしょうね。  そして第一部の最後のコラール「人よ、汝の大いなる罪を悲しめ~」へ続きます。  

KiKi はだいぶ前に別 Blog 「落ちこぼれ会計人の独り言」の映画「パッション」の Review にもちょっと書いたんように、根っこの部分では「人々の罪を一身に受ける」なんていうのは有難い事というよりは傲慢な事という思いの方が強かったりするし、同じく根っこの部分では全知全能の神というのはどうも胡散臭く感じてしまって、「やっぱり私は八百万の神の国に生まれた人間だなぁ」と感じることの方が多いのだけど、このマタイを聴くと神様が1人なのか大勢なのかは極論するとどうでもいいことで、要は「人間とは何ぞや?」とか「神と人間の関わりとは?」という命題に正面から向き合う姿勢にこそ大切な何かが詰まっている・・・・そんな気がしてくるんですよね。

人間は悪意の有無や本人の勤勉・怠惰に関係なく堕落しやすく易きに流されやすい存在だし、奢り高ぶり易い存在であるということは間違いのない真実だと思うんですよね。  映画「ロード・オブ・ザ・リング」でも同じようなことを言っているし・・・・(笑)。  イエスの受難の物語もフロドの険しい旅の物語もそれ自体を信じる信じないは、ひょっとしたら些細なことで、このコラールが歌うように「人よ、汝の大いなる罪を悲しめ。」、つまり我が身は「イエスを売ったユダ」とか「イエスを見捨てて逃げた弟子」とか「最後の最後に指輪を我が物としたくなってしまったフロド」と同列のものであるということを常に思い出すことこそが大切だということなのかもしれません。

バッハ マタイ受難曲 第2部 Part 1へ

スポンサーサイト

テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

TOP
この記事に対するコメント
TOP

この記事に対するコメントの投稿















TOP

この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://diarymusic.blog78.fc2.com/tb.php/23-2cdb6e8d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
TOP
Index

今日の1曲 Index

今日の2曲目 Index

ブログ検索

プロフィール

KiKi

Author:KiKi
名前:KiKi (Brunnhilde)
年齢:秘密♪
誕生日:April 17
性別:♀
職業:落ちこぼれ会計人

姉妹ブログ:
落ちこぼれ会計人の裏ブログ
落ちこぼれ会計人の本棚

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

コメントありがとう♪

TB ありがとう♪

Blog People



この Blog を登録してもらえますか? by BlogPeople



TB People

クラシック・ピープルの Trackback People Site


チェロ ラヴァーズの Trackback People Site

Piano~ぴあの Trackback People Site

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。